頭ではわかっていても完璧主義を抜け出せなくて謎にこだわってしまった

こんにちは、猛反省中の花音です。

どうせ最初から完璧だなんて無理なのに
完璧主義になってしまいました。

とにかく反省してるので
体裁を気にせず反省文を書きます。

私はブログを1つ書いてみて、
上手な人に見てもらったときに
改善点が出てきすぎて
全然だめだめのしょぼすぎで
できないという現実を変えたくて
上手になりたくて

その結果自分はどうしたかというと

1つ記事を書くのに
お話にならないほど時間かけてしまって
それでも夜中寝る前には
なんとか公開しても、

次の日見返してみて
やだむり消したい
というか自分ここから消えたい
恥ずかしいという
なぞの消滅欲まで出てきてしまうのです。

ここには自分しかおらんのに。

これがいろんな人に
直接見られてるわけでもないのに。
罵声を浴びせられるわけでもないのに。

だから誰にも見られないうちに
朝起きたら非公開にして
もう一回書き直す。

私はこれを2回もやってしまいました。

つまり、ひとつの記事を
3日にわたってネチネチああでもない
こうでもない
とやり続けていたのです。

頭ではわかっていたのにもかかわらず。です。

何度も聞いたことあったし
なんなら違うジャンルですが私も
完璧を目指すんじゃなくて
とにかく数やることが大事だよー
なんて発信してました。

そんな自分が。やだやだやだすぎて
子どもか。って何回も自分に言ってます。
真顔で。

なんでこうなってしまうのか
自分の行動のもととなってる感情は
なんなのか、考えてみました。

それは、いちどアドバイスもらったことを
またできてないと思われたくない。

もっと上達していないと、
全然できてない自分を見られて
先輩や仲間に失望されたくない。

だから自分でちゃんと見直して
これ以上よくできるところはないか探して
こうやって成長していかないと!

これでした。

別に私の投稿を確認してくれている
仲間なんていません(笑)

自意識過剰すぎて書いてて
笑けてきました。
失望してくれる人もそうおらんかった。

大事やと思うんです。
言われたこと吸収していかないと
意味がないから。

でも、過剰に何度も見直したところで、
自分で添削してるのと同じこと。

まだ結果もろくに出てなくて
記事も全然書いたことがない
どうしたらいいのかはっきりもわかってない
なにが正解なのか正直わからない

そんな人に添削してもらって
なにになる????

普通にこう考えたらこわい。
絶対そんな人に頼もうとは思わない。

それをやってしまっていた。

言われるのが怖い、
できない自分がいや

そんなことを言ってたら
一生このままで成長なんてできるわけもなく。

当たり前のことで頭ではわかっていたのにこれができなくてまあ今は自分にムカつくという。

見えてる世界が違う。

私が一生懸命自力でジャングルの中から
何の手掛かりもなく探し物をしてる感覚。

どっちいこう、こっちにしようか
って一人でしてる時間、
なんの役にも立ってない。

どうせ探し物なんて見つからない。

それに対して、わかる人は
木の種類も区別がついて
どの目印がどの方向をさすかもわかっていて
その通りにすすめば探し物もある
とわかっていて一瞬で見つかる。

どっちの人についていきたいですか
って話。

それで時間をかけて見つかるならまだいいけど
いやよくないか、時間無駄すぎやけど
まあまだいいとして

どうせ見つからないんですよ。

そこで言われたのは、

書き直すんじゃなくて
とりあえずどんどん新しいのを書け。

ということ。

ジャングルでも、どっちいこう
あっちにしようかなこっちかな
ってしてるだけでは何も進まないけど

とにかく進んで見ろということかな。

進んでるうちになにかヒントが見つかるかもしれないし、法則が隠されてるのに気づけるかもしれない。停滞してるのとは全く違う

まあ、それよりもわからない自分のまま
わかる人に教えてもらうほうが
何倍も早いしクオリティも上がるのは
言うまでもないことなんですけどね。

いっぱい書くことで
少しずつレベルも上がってくる。

いっぱい書くことで
初期のへたっぴなのは埋もれる。

いっぱい書かなければ
レベルも上がらないしずっとこのまま。

今回学んだことは、

頭ではわかっていても
その通りにできるほど私はかしこくないんだということ。

いや、もしかしたら私だけではなく
人間とはそういうものなのではないか?

頭で理解していても行動が伴わない例は
たくさんあるし。

じゃあこれを書くことで同じように
ダメだとわかっていたとしても
完璧主義を発症してしまっている人も
もう一度考え直せるのではないかなと
思いました。

だからこそ、頭での理解だけでなく
何事も実践が大事なんだということ。

実践なしでは学んでも意味がないということ。

これはブログ書くのも同じ。

私はYouTubeやってるのですが。

初期のころを見ると
突っ込みどころ満載です。

今のほうが良くなってます。

100本以上出しているので当たり前ですが。

はじめは何も気にしてなかったんですよね。
何が正解かもわからなかったし
喋ることには自信があったというか、
苦手意識がなかったので、
普通に教えるようにしゃべりゃいいやんー!って。

編集とか間合いとかくらいですね、
喋り方とか。(笑)

内容は言いたいこといってるだけなので
大問題ではなかったので、
ファンはできたし、
改善していくたびにコメントで
どんどん見やすくなってる!
言ってもらえました。

これでいいやーん

気にせず出せばいいやんー

あ、今思ったことなんですが、

YouTubeは自分のもう大の得意とした分野だったんですよ。
だから教えた、自分の知識をそのまま出した、
これだけだった。。。。。

そうかー。

こんなにてこずってるのは
ただ知識不足だからだ。

事例不足だからだ。

悩んでた部分も、
もっとこう表現したほうがいいのかな、とか
ここで何を入れたらいいんだろうとか、

なんか知識さえあれば悩まないようなことなんですよねー。

それに、自分の頭で整理がついてないから
書いてて順番ぐちゃぐちゃになってしまったり。

深いところで理解できていないからか。

記事かけないとかじゃないな。

本当に周りの人より知識があれば
それをそのまま出せば
どんな状態だって役立ててもらえるしな

いやーそうよね

自分のときはそうだったー。

勉強不足だったー。

これもわかってたはずなのに
書いてて痛感しすぎてなんなら痛い。

痛すぎる。。。。

この記事は、ただの反省文なので
頭にあるものをただ文字に起こしてるだけ。

難しいことは置いといてとにかく書くのが先だと思ったから。

となると、こんなにスラスラかけるんや。

っていう気づき。

今まで時間をかけては違うなー。
これじゃへんかなー。

としてたのは、まだ自分ごとに落とし込めてなかったからなのかな。

いや、ブログを書くことで
その作業がやっとできるのかな。

学んだことはアウトプットしなさい!

よく言われることだけど、
ただ学んだことメモして、
感想書いてってこれじゃアウトプットでもないのか。

人に教える。

そのためにわかりやすい事例を考えるし
自分の場合ならどうか?
この人の場合ならどうか?
それはなぜなのか?

と説明するうえでの必要なことを
考える過程で
本当に理解できるのか。と身をもって体感。

人に教えるのが一番自分も成長できるよ
と聞いたことがあるけど、

教える人なんていないよー

なんて何をほざいてたんや

自分でこうやって見られる媒体で
責任もって教える活動をすればいいだけ

はじめはできなくても
自分の持ってる知識をまとめて
それを持っていない人に
届ければ立派なもんですよね。
うん、そうですよね。

完璧主義抜け出せなかった反省から

とにかく勉強不足だった、という気づきまで

とにかく書きなぐってしまいました。

こういう備忘録のようなものを残しておけるのもブログのいいところだな。
また忘れてしまうだろうから絶対見返そう。

だいたい40分で書きました。
約3000字、頭にあることを出すだけで
体裁にもこだわらなかったら
40分で終わるんや、自分。

知れてよかった、
やってよかった。

どんどん恐れず書いていこうね、
慣れるまでやろうね、
今できないことは悪いことじゃないよ、
逃げることがダメなんだよ、

自分へ、

自分より。